かめの記憶

行田の古代蓮の流れで向かった先は熊谷市妻沼・・・

 かつて東武鉄道熊谷線という路線があり、当初軍需目的で熊谷市と太田市を結ぶ鉄道として昭和17年に着工し、翌年12月5日に熊谷―妻沼間10.1kmが開通。しかし、戦況の悪化と終戦により、妻沼―新小泉間は完成せず、開通した路線も大幅な赤字のため昭和58年5月31日に廃止。

 東武熊谷線の線路跡は「緑道」と呼ばれる道路や公園等に生まれ変わり、当時の車輛は、妻沼展示館に移設保存(以上、熊谷デジタルミュージアムより引用抜粋)されているということで、見物してきました。

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妻沼展示館内には熊谷線が営業していた頃の様子がわかる展示物がありました


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妻沼展示館の裏手 熊谷線を走っていたキハ2000が保存展示


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裏手というとまるで隠されているようですが、敷地外の道路からも眺められる配慮か


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誰もいませんでしたので、じっくり観察


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案内板あり・・・特急カメ号と呼ばれていたらしい!?




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係の人に声かけすると内部も見物できるようです


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東武鉄道のキハ


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ココに刺さっていたであろう行き先表示板などは妻沼展示館にありました


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シルバーシートは展望席?!


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大切に保管されています


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板バネ構造の台車 乗り心地はイマイチだったことだろう


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サイドビューは撮影しにくい保存形態ですが、屋根があるのはいいですね〜




 この路線が冒頭で述べたように太田市へ伸びていたなら、とりさんがアップされた記事の内容も変わっていたことでしょう。延伸はかないませんでしたが、群馬県との境である利根川には橋脚が建てられていたという。現在は撤去されてしまいましたが、群馬県側に一本だけ記念碑的に残っているとのこと。天気が良く時間に余裕があれば見物に行ったのですが、それはまたの機会といたしましょう!

 それまで遺構群はどれくらい残っているだろうか???




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この記事へのコメント

2024年06月29日 06:52
いい色だ
某ハンビーみたいw
2024年06月29日 08:57
mitsu さん、

 昔の東武野田線もこの色だったような記憶・・・
K
2024年06月30日 22:18
おじゃまします
時代による塗色の変遷を見ていくのも楽しそうですね^^。
2024年07月01日 06:15
■an-kazuさん
返信遅れて申し訳ありませんm(_ _)m
昨晩まで出掛けておりました。
この場所は一度行ったきりでご無沙汰なのですが、今も大切に保管されてるんですね。
安心しました。
計画どおり建設が進んだら、ご指摘通り記事は確実に変わってました。
リンクもありがとうございます。
お陰様で週一更新の拙ブログの閲覧数が爆上がりです(o ̄∇ ̄o)フフ
2024年07月01日 08:53
K さん、

 塗色の変更、鉄道・バス・航空機・・・大変だ!!
2024年07月01日 08:54
とり さん、

 これからも参考にさせていただきますm(_ _)m